自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

手かざし

手かざし

以前会報に載せた記事ですが、目に見えなくても現在の科学的立場で証明はされていなくても、事実としてある働きを認める切っ掛けになったお話しです。

 善玉菌を増やす栄養、腸まで届くヨーグルト、ウンコの移植、などなど、便秘対策やメタボ対策のサプリがテレビの番組の間をひしめき合っています。これでもかこれでもかと新しい製品、中身はそう変わらなくても新発見や新配合が売り物のサプリが全盛です。

 たしかに口に入るものは大切だから、足らないものを取り入れるというのは考え方としておかしくないように見えます。でもこれが取り入れるほうばかりで組み立てられていることに疑問を感じる方がどのくらいおられるのでしょうか。

 食べるものは減らさないで、吸収を妨げるお茶を飲めばいいだろう、というような短絡した発想が当たり前になっています。他の国では食べるものに困っている人が多くいるのに、サプリやトクホなどを奨励する先進国の一員として恥ずかしく思います。

食べることはもちろん大切、でも、豊かな生活をしている私たちにとって、食べないということに関して考えることはもっと大切です。

 そしてもう一つ、体の栄養は考えるのに、どうして心の栄養のことは考えないのでしょう。心が汚ければ腸が汚れる、と単純には断言できないけれど、無関係ではない。歳をとれば悪玉菌が増えるのが当たり前なのか、善玉菌を外から入れればそれでいいのか、なぜ悪玉菌が増えるのかを考えないのか。

そもそも悪玉菌って何なのだ。本当に悪者なのか。いなければ困る菌であるはずだし、体や心の環境が善玉と言われる菌に合わないから、いや、良い状態に変えるためにこそ増えているだけの話。

そういえば、「便秘の奴は心が便秘だ、取り込むことばかり考えて出さない心の便秘症なんだ」、とか、「近視の奴は心が近視眼なんだ」、などと沖先生がよく言われていたことです。

 腸内細菌も腸の外にいる他の生命も、私たち人間と、そしてすべての生命と共存している。そしてその真っ只中に私自身がいる。その関係の密接度は、食物連鎖というような単純なものではない。自然破壊や環境汚染だけの問題だけではない。もっと誰にも身近に密接にある事実だ。

 福岡正信さんの自然農法、木村秋則さんの無農薬リンゴ、日本酒の杜氏さんたち、ほかにもたい肥作りの名人や世界救世教の農法、これらの方々の生き方と生命との向き合い方は、麹や酵母、そして土壌の菌類たちと人間の在り方の問題を如実に物語っている。

 ひどい声や調子はずれで歌うと「糠味噌が腐る」といいます。辞書などではその根拠はないように書いています。しかし、その通りのことが私の身近で起こり、気を乱すことが醗酵に大きな影響を与えるという不思議な体験をしました。

 10年以上も前のこと、妻が漬けた糠漬けを毎日おいしく食べていたのですが、ある日その妻と大喧嘩をしたところ次の日、糠味噌が腐ってしまい、まったくだめになったのです。

たった一晩でです。二人とも とてもショックをうけ、それ以来、大きな声で怒鳴りあうような真似をしなくなりました。糠味噌が教えてくれたのです。

 また、40年も前のことですが、「意識」と「土壌や醗酵」との密接な関係を体験し、それが手当とも深い関係があることを体験しました。

 まだ20代後半のこの頃も、高速道路を使っても車で1時間くらいかかる山間の農地を借りて畑をしていました。多くの自然農法家のやり方を参考にして、土と植物と人間の共生、というほど大げさなものではないですが、いろいろなやり方を模索していました。

 ある日、その畑から家に帰る途中、誰かの紹介で自然農法をやっているという農家に立ち寄り、畑を見せてもらいました。

とても元気そうな野菜が立派にできていたのですが、そこのご主人の話では、「肥料も農薬もやりません、刈った草やワラ、落ち葉、それから古い畳などを上から上から積んで入れ、土ができるまでに最低7年かかります。

一切耕さないのですよ、そして毎日、手かざしをします」、と言われました。

その農家は世界救世教の信者で、岡田茂吉の農法の実践者だったのです。

そして、手かざしはともかく、耕さないということにとても興味を持ち、たくさんの野菜をいただいて帰りました。とても美味しい野菜たちでしたが、帰ってから1週間ほどして驚いたことがありました。

それは、家には3通りの野菜があり、一つは自然農法・有機栽培のもので、共同購入で手に入れていました。
もう一つは近くのスーパーマーケットで手に入れたもの、そして今回いただいたもの。

夏場でしたが量が多いのでどれも冷蔵庫に入らずバケツに入れておいたのですが、一番高価で勿体のついた有機栽培のものが一番早くドロドロにとけて来ました。

そのとき、スーパーで購入したものはまだ元気でした。そして話題のいただいてきた野菜たちは水をやるわけでもないのに、元気で全くしおれずピンピンとしているのです。

勿体つきの野菜は、有機肥料で無農薬ではあったことでしょうが、十分に醗酵が進んでいない、いわば腐った肥料を土壌に漉き込んだために未消化のものや毒素が植物体内取り込まれ、早く腐ったのです。

人間でいえば、不要なものが血液中にたくさんある濁った血液になり、心や体が腐ってくるのと同じことになっており、自然食品とは呼べない代物でした。

その意味ではスーパーの野菜の方がまともでした、農薬を使っていてもです。これを見て大変驚き、もう一度その農家にいき、彼の農法について詳しく教えてもらいました。

でもそれほどあたらしい内容はなく、その方が強調するのは「手かざし」「おひかり」「ご浄霊」なのです。そして面白いものを見せましょうと出してきて見せてくれたものがありました。

二つの同じコップですが、中に何かが乾いて固まって付いていました。何かわかりませんが二つの中には違うものが入っていました。

 「これは実験の結果なのです。二つの同じコップに同じ量の生の米粒と水を入れ、それを同じ場所に並べて置き、一方には毎日手かざしをし、もう一方には何もしないでおいたものです。結果は大きく変わり、そのまま乾いたものがこの中身の全く違うように見える二つのコップなのです」ということでした。

 なにか眉唾? 半信半疑というより1信9疑という感じでしたが、まあ一度やってみないとわからないと思い、家に帰ってすぐ、彼の言葉通り同じようにやってみました。

二つのコップの環境が変わらないように、棚の同じところの隣同士に、そして区別がつくように片方にマジックで小さな印をつけ、毎日、シルシをつけた方のコップに向かって「おはよう」とか「行ってきます!」とか、1日1回以上、掌をかざしながら軽く声をかけ続けました。

コップのすぐそばまで行って、片方だけに掌を向けて声をかけるときもあれば、掌の方向としては区別のしようのない遠くからやることもありました。しかし、意識だけはいつもシルシのついた側に向けていました。

記録は取らなかったので期間は忘れましたが、結果は驚くべきものでした。彼の言った通りになったのです。

 どちらのコップも米が溶けてきて白く濁り、次に水の表面にカビ状のものが浮き始め、しばらくすると、手をかざさない方のコップには黄・黒・緑様々な色のカビが、オレンジ色もあったように思いますが、モコモコととても気持ちの悪い状態になりました。

ところが、もう一方の「手かざし」をした方のコップは、 驚くことに見た目が全く違い、真っ白でフカフカの、一山(ひとやま)の酵母で覆われたのです。二つのコップはフタをせずに並べてあるので、カビや酵母の胞子は自由に行き来できるはずですが、不思議なことに全く違う状態になったのです。

 世界救世教の信者になったわけではありませんが、掌をかざすこと、またはその意識がカビや酵母の菌類の生育に関係しているということを認めざるを得なくなりました。

そのときから、ひょっとして掌から何かが出ているのかもしれないと思い、手当や掌療法の書物を読んだり実際にやってみて大きな成果を得ることができました。

意識が細菌の生育に関係している、また、その意識が掌を通じて(他の場所やものを通じてでも)何らかの形で伝えることができるという体験をヨガの教室で話したり、手当の実践をしているうちに、家の病気の猫に手当をすると痛がらず歩くようになったとか、ご主人にやったら腰が楽になって喜ばれたとか、いろいろな体験談を生徒さんから聞くようになり、ヨガの教室の指導にも取り入れるようになりました。

野口晴哉氏の整体や活元も学ぶようになり、ここでも掌と意識の在り方を学び、色々な場面で掌を使うようになりました。

 現在は特に野菜に向かって手をかざすということをやりはしませんが、野菜だけでなく、雑草と呼ばれる草や虫たちとも、どのように向き合うかという心の状態が自分と周りの存在の状態を作り出し、自分がその真っ只中にいるということを強く感じます。

 声を出すことも全く同じで、自分の創りだした声の波動が自他を包む世界を生みだし、そしてその真っ只中に自分がいる、ということです。

コメント



認証コード7075

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional